若かりし頃はデザイン力を駆使して所謂売れる作品、賞の取れる作品を目指していた時期が続いていました。
そのために三次元の汎用CADのアーキキャドなんて当時としては高価で難しいソフトをマスターしました、もちろん今もプランニングには使っていますが、その方向性に何時しか疑問を持つようになりました。
それは木造の住宅を多く手がけるようになってきてからです。
最近は聞かなくなってきましたデザイン力を武器にした住まいの達人や匠番組、非日常性を感じさせる異空間の住まい、住宅を作る人たち。
彼らと同一線上に見られたくない、これ自体も独りよがりにも思えますが、人の生活に必要なものは本当は違うのではないかと、そんな思いを持つようになりました。
非日常の空間を日常である住宅の中に持ち込む理由や必要性は、確かにその趣味のある人々のものであって、永い人生の一断面にしか過ぎない空しさを感じてしまいます。
良いものとセンスの良さに囲まれた生活は、充実感と良い感覚を生む環境を作ってくれることはもちろん重要です。
それすらも考えず設計に臨んでいる設計屋は、私個人的な見方からすれば周りにも居ます。
順序からするとやはり人間の生活の容器としては、生活の山や谷の永い営みを見守ってくれる存在でありたいという思い、身を守る、暖かい、涼しいといった、ものを食べて美味しいと同等な位置づけで住宅を捉えて作ってゆくのが自然な考え方だと思うのです。
非日常的な異空間は一年に一度くらいはいいのですが、普段はやはり「美味しい」にはならないのです。
2009年11月22日
美しい空間
posted by まちかどけんちくか at 10:15| Comment(0)
| すぎはら設計の住まい
2009年11月02日
構造計算の再入門は仕事のうち
地震が多発する時代に入ったのは多くの人が知る事実、けれど一般には知られていないことがたくさんあります。
本当は震度7なんて地震が発生したらほとんどの現存する木造は壊れるとはまんざら冗談ではない。
なんてショッキングな書き方をしても許してもらえるでしょうか。
当たらずとも遠からず。
あの有名な元建築士さんが事件を起こした時、同じ建物を限界耐力計算法という構造計算を行うとまんざら成り立ってしまう。・・・なんて話を聞かれたことはなかったですか。
その矛盾を追及しようとしていて国を相手に裁判まで考えていた人がいたとかいないとか。
構造計算は所詮、仮定。
もっとも、技術的知見というやつに元ずく仮定ですから専門家の世界でしか許されない仮定です。
誰でもわかるのは地震は動くということ、当たり前の話ですが限界耐力計算が使用できるようになるまでは地震は動かなかった、振動するという事実を静的な力に置き換えて計算していました。今も現実的な計算としてそれが主流の計算法なんです。
もちろん偉い先生方が技術的知見、膨大なデータから経験科学的に決めた係数を建物の重量に掛け算した力が建物に水平力として働くのが地震だという仮定です。
よく考えると恐ろしい仮定だと個人的には思うのですが。
どう思われます?
動くものを止まっているよ・・・と仮定するんです。
そんなバナナ・・。
地震が地面を通じて建物に入力されます、しかし、その動きが決めたれたように一定に揺れるわけがないでしょう。
まあそのあたりも考慮に入れて安全率を見ているようですが、建物の個々によって地盤の性質によってみんな違う動きをするはずです。
要するに人間のすることに完全はないということ。
こんなくくり方では、いっきに飛んで投げ出したようなものですよね。無責任おじさん。
これだけは言えます、間違いなく計算やってない建物は怖いですよ。
かの寺田虎彦先生は、怖さを知れば怖くない。 だってさ。
本当は震度7なんて地震が発生したらほとんどの現存する木造は壊れるとはまんざら冗談ではない。
なんてショッキングな書き方をしても許してもらえるでしょうか。
当たらずとも遠からず。
あの有名な元建築士さんが事件を起こした時、同じ建物を限界耐力計算法という構造計算を行うとまんざら成り立ってしまう。・・・なんて話を聞かれたことはなかったですか。
その矛盾を追及しようとしていて国を相手に裁判まで考えていた人がいたとかいないとか。
構造計算は所詮、仮定。
もっとも、技術的知見というやつに元ずく仮定ですから専門家の世界でしか許されない仮定です。
誰でもわかるのは地震は動くということ、当たり前の話ですが限界耐力計算が使用できるようになるまでは地震は動かなかった、振動するという事実を静的な力に置き換えて計算していました。今も現実的な計算としてそれが主流の計算法なんです。
もちろん偉い先生方が技術的知見、膨大なデータから経験科学的に決めた係数を建物の重量に掛け算した力が建物に水平力として働くのが地震だという仮定です。
よく考えると恐ろしい仮定だと個人的には思うのですが。
どう思われます?
動くものを止まっているよ・・・と仮定するんです。
そんなバナナ・・。
地震が地面を通じて建物に入力されます、しかし、その動きが決めたれたように一定に揺れるわけがないでしょう。
まあそのあたりも考慮に入れて安全率を見ているようですが、建物の個々によって地盤の性質によってみんな違う動きをするはずです。
要するに人間のすることに完全はないということ。
こんなくくり方では、いっきに飛んで投げ出したようなものですよね。無責任おじさん。
これだけは言えます、間違いなく計算やってない建物は怖いですよ。
かの寺田虎彦先生は、怖さを知れば怖くない。 だってさ。
posted by まちかどけんちくか at 17:33| Comment(0)
| Works 設計監理とは